百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

やる気は正確な情報ではなく 「河合隼雄の幸福論 (河合隼雄)」

著者があるシンポジウムで、作家の井上ひさしと一緒になった。

彼は当時芝居に夢中になっていた。

芝居には、本当にいろいろな人が来る。職業も年齢もバラバラである。

ところが演劇が始まり、それが成功する場合には

劇場全体に「不思議な一体感が生まれる」と彼は語った。

観客が一体となって喜びや悲しみの感情を味わい、

その揺れが舞台に及んでくると、俳優も普段以上の力を発揮する。

それがまた観客の感動を呼ぶ。心の共振振動みたいなのが起こるのだ。

こんなときに彼は芝居をやっててよかったと思うのだという。

 

彼のこのような話が、シンポジウムの聴衆に感動をもたらし、

そこには「一体感」が感じられ、話が終わると自然に拍手が起こった。

著者も聴いていてすごく心が揺さぶられ、出席した価値があったと思った。

 

この話を情報の伝達という観点から見てみる。

著者は井上ひさしからどのような情報を受け取ったのだろう。

聴衆も喜んでいたが、それは井上氏の話から新しい知識を得たからだろうか。

著者も聴衆も、別に井上氏から役立つ情報を得たわけではない。

井上氏から受け止めたのは、知識ではなく心の揺れである

例えば、井上氏は演劇の話をしていたが、

その話を聴いても著者は演劇ではなく、自分の専門の心理療法のことを考え、

「よし、僕もやるぞ!」という気持ちになったそうだ。

 

つまり井上氏の話で著者の心が揺さぶられたことで、

聴いていて何となく心が楽しくなったのだ。

事実が伝わったのではなく、楽しさが伝わったのである。

 

誰かから発信されたものを受け止めるときに、

私たちは正確さにこだわりすぎてないだろうか。

井上氏の話を「正確に」記憶してもあまり意味がない。

演劇の話を聴きながら著者が心理療法の話を聞いていたように、

聴衆が一人一人異なる受け止め方をしつつ、自分なりの「心の揺れ」を体験し

「よし、やるそ!」と感じることが大事なのではないか。

 

教育の現場においても、情報を早く正確に多く伝えることを重視してないか。

これが試験に出るよ、これを知っておくと他人に差をつけられるよ、

という教育ばかりやると、人間が生きていくのに大切な

「やるぞ!」という心の動きが押さえ込まれるのではないか、と著者は語る。

 

私はあらゆることにこの話は当てはまると思う。

人材育成に関しても、マニュアル的なことを正確に伝えるのは大事だが、

教える人の仕事ぶりや態度で新人の心が動かされるか、がポイントである。

新人が「この人みたいになりたい」と心を動かされれば、

飛躍的に成長していく。

 

広告や営業もそうである。

商品の性能を、正確に多く伝えれば買ってくれるというわけではない。

その人の心が動いたときに買いたいと思うのである。

人の心を動かすには、正確さよりも伝え方のほうが大事である。

いかにその人の立場になって、熱心に伝えるか、

その人の心を動かせるかどうかを基準にするといいのではないか。

 

そしてこれは自分に対しても当てはまると思う。

失敗した過去があったり、ある面での才能がなかったりすると

人は時に足を引っ張られる。

それも確かに正確な事実に違いない。

でも大事なのは「心を動かされる」事実だ。 

 自分が何に対して心が動いたのか。

その心の動きに向き合ってみることで

自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「正確さより、心の動きを重視する」