百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

先生、どちらがいい子でしょうか 「河合隼雄の幸福論 (河合隼雄)」

著者が、ある大学生から相談を受けた時の話。

彼は一流大学の学生で、長い間大学に出てなくて留年を重ね、

もう限界が来て退学するしかない状況だった。

小学校の頃から優等生で、勉強ばかりしていた。

両親が2人とも学歴のない人だったので、彼の成績の優秀さを心から喜び、

この子のおかげで自分たちの老後も安心できると言っていた。

 

彼には弟がいたのだが、弟はまったくの勉強嫌いで遊んでばかりだった。

それでも両親は「兄がしっかりしているので」と、弟を放任した。

弟は好き勝手に育ち、商業高校を卒業してすぐに就職した。

親は弟がどこに行こうが気にかけず、ひたすら兄の進学のことを心配した。

兄は期待に応えて一流大学に現役で合格した。

両親は大喜びしたが、入学してすぐに不幸が始まった。

 

高校の時は何を勉強するかがはっきりと決まっており、

その結果は模擬試験の点数によって明確に示された。

それが彼の自信となっていた。

ところが大学というのは何をしていいかはっきりしない。

同級生たちは適当にクラブに入って楽しそうにしているが、

自分は勉強以外に趣味などないのだ。

 

やがて、わけのわからない不安に襲われるようになった。

考えてみると、自分は優等生として生きてきたが、

それは親や教師が言うのでそれに合わせて生きてきただけだった。

「これが私だ」と言えるものは何一つないのではないかと思えてきた。

そうなると一気に自信をなくし、大学へ行けなくなって留年を重ねた。

 

ところが、弟は一本立ちして商売を初め、それが大当りした。

若いのに家まで建てて親と暮らしているという。

ここまで話して、彼は著者をじっと見て、

「先生、どちらがいい子でしょうか。両親はいつもいつも、

兄は偉いが弟はダメだ、と言ってましたが。」

 

著者は彼の問いかけに対して次のように答えた。

今、弟はよくお金をもうけて両親までひきとって暮らしている。

兄のほうは、ただお金を使うだけで何もせずにブラブラ暮らしている。

だからといって弟は「よい」、兄は「悪い」と断定してしまうと、

それは兄弟が子供の頃に成績だけで兄は「よい」、弟は「悪い」と

両親から判断されたのと同じ過ちを繰り返すだろう。

 

子供の頃に兄に両親の注意がいったため、

かえって弟はのびのびと育ってよかったのかもしれない。

今、兄がブラブラ暮らしているのは、弟のやる気を引き起こしているかもしれない。

どちらが「よい」「悪い」などと考えてもわからないことなのだ。

今は焦らずブラブラ暮らしていたら、何かが心の中から出てくるはずである。

何も「よい」弟のマネをする必要はないのではないか。

 

私は「のびのびと」がポイントだと思った。

「よい・悪い」を基準に幸福は決められない。

他人にとっては「よい」ことでも、本人とってそれが幸福になるとは限らない。

 

同書の中には、学校へ行けなくなった男子高校生の話も出てくる。

彼の父親は、中学を出てすぐに働かねばならず大いに苦労した人だった。

そこで自分と同じ苦労はさせたくないと、

小学生の頃から家庭教師をつけて勉強させた。

ところが息子は学校へ足がすくんで行けなくなってしまった。

子供が苦労しないようにと思ってしてやっているのに、

学校へ行かないとはけしからん、と嘆いたそうだ。

 

「苦労しないように」と、父親はよかれと思ってやった。

確かに中学を出てすぐに仕事をするのも苦労だ。

だが家庭教師をつけられて

自分の意思はおかまいなしに勉強させられるのも「苦労」ではないか。

父親にとってはよいことでも、それが息子を幸福にするわけではない。

 

著者や、この父親の子供の頃は、

ものがないこと、学校へ行きたくても行けないなど

「~がない」という不幸が多かった。

だから「ものがある」「学校がある」などといった

「~がある」を幸福だと思って追いかける傾向があるそうだ。

今でも「お金がある」「地位がある」などを目指す人も多いかもしれない。

だが、お金や地位があるおかげで不幸になっている人も実はいる。

 

幸福というのは、こちらから近づこうとすると上手に逃げられるようなところがある。

だから幸福を第一と考えて努力するのは、あまりよくないようである。

はじめから幸福を狙うのではなく、結果的に幸福になるのがいい。

その決めては「のびのびと楽しめるか」だと思う。

だからお金や地位を求めるのが必ずしも悪いわけでもない。

自分がお金儲けや出世をのびのびと楽しめているのなら、それでいいのだ。

先程の大学生や高校生も、勉強が心の底からのびのび楽しめるものなら

問題にならなかった話であろう。

 

自分にないものを手に入れることが、必ずしも幸福につながるとは限らない。

自分が心からのびのびと楽しめることに没頭することで、

結果的に幸福になれば理想的ではないだろうか。

幸福を成功と言い換えてもいいかもしれない。

そこから自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「幸福を求めるのではなく、結果として幸福になれるようにする」