百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

松本人志でさえ 「ずるい考え方 (木村尚義)」

2:6:2の法則という有名な法則がある。

働き蟻に例えるなら、

2割は必死に働く蟻

6割はそれなりに働く蟻

最後の2割は全然働かない蟻である。

この法則の面白いところは、必死に働く2割の蟻だけを残して、

残りの全ての蟻を取り除いても、「必死に働く蟻だけの集団」にはならない。

残った蟻の中で、またもや2:6:2の割合で、

必死に働く蟻、それなりの蟻、全然働かない蟻に分かれるからである。

 

この全然働かない蟻は無駄なのであろうか。

以前ブログに、「無駄があるのが自然である」と私は書いた。

無駄ではないということは、何らかの役割がある、ということだ。

実は、全然働かない蟻は、いつもの餌へのコースをたまに外れて、

新しい餌を見つけてくるのだそうだ。

この怠け者の蟻がいなくなれば、その蟻達は全滅してしまうかもしれない。

 

我々が無駄に見えるものが、実は無駄ではないことがある。

短所が捉え方によっては長所に変わることは、このブログでも書いてきた。

 

「ずるい考え方 (木村尚義)」にも、例えば「雪」の話が載っている。

札幌では、冬になるとものすごく雪が積もる。

それを除雪し、集めた雪を公園に集めていた。

この雪は、そのままでは邪魔なだけだ。まさに無駄だ。

ところが、1950年に捨てられていた雪を使って、

市内の中・高校生が石像を6基作った。

これが、雪まつりの始まりである。

無駄なものも視点を変えるだけで、武器になる。

 

が、私はここで無駄について別の角度から考察したい。

先程の蟻の例でいうと、2割の必死に働く蟻だけの集団を作っても、

すぐにその集団内で、2:6:2に働き蟻と怠け蟻に別れる。

ということは、無駄な蟻を排除することはできない、ということだ。

逆に言えば、「どんなものでも無駄は必ず生じる」とも言える。

 

ここで私が思い出すのは、ダウンタウン松本人志だ。

以前番組で、「もうダウンタウンとして漫才はやらないのか?」と聞かれて

彼はこういう趣旨のことを答えていた。

「昔は定期的に劇場に出ていたから、そこでフリートークをしながら

徐々にネタを完成させることができた。今は、そういった場がないから難しい。

だから、面白くないかもしれないが、客前でフリートークしながら、

駄作をいっぱい作っていって

1年くらいしたら10分くらいの良いネタが完成しているかもしれない。」

あのお笑いの頂点を極めた人ですら、

駄作をいっぱい作らないと、良い作品はできないと言っている。

 

エジソンは電球を完成させるのに、1万回失敗した。

カーネールサンダースは、フライドチキンの最初の契約をとるまで

1009回断られ続けた。

どんな人でも、何か成功するまでは、

失敗、やり直し、回り道といった無駄にも見えるような経験をするのだ。

 

自信のない人は、これまでの失敗をひきずったり、

今までの人生自体が無駄に思えたりする。

 

しかし、どんなものにも無駄は必ずできる。

でも、その無駄は、

考え方によっては無駄ではなくなったり、

あるいは成功するまでに通らなければいけない手続きであったりするのだ。

 

以前読んだ本に営業のトップ成績の人の話があった。

そのトップの人は、一日中働いてるのわけではない。

外回りでも、会社を訪問せずに、サウナに行ったり、本屋に行ったりする。

一見営業とは関係の無いことをわざとするのだ。

そうすることで、ルーティンの仕事からは得られない、

情報や人脈や発想が生まれる。

無駄を自分からあえて作ることで、結果につながることもある。

 

方向性さえ間違っていなければ、やり続ければ結果は出る。

過去のことをどうしても後悔してしまう人や、

今やっていることが報われなくて心が折れそうな人は、

松本人志でも、駄作を作らないと漫才が作れないことを思い出すべきだ。

 今やっていることが無駄に見えても、あえてその無駄を続けてみる。

あるいは、意識的に全然関係のない無駄なことをしてみる。

そこから自信につながることがあるかもしれない。

 

本日の武器「無駄をあえて作る」