百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

私はどうでもいいのですが 「河合隼雄の幸福論 (河合隼雄)」

著者の河合隼雄は臨床心理学者で、いろいろな人が悩みを相談しに来る。

あるとき、50代後半の夫婦が相談に来た。

息子の恋愛相手がどうも気に入らない。絶対反対である、

という話に続いて、「民主主義の世の中ですから、あれはあれで、

私たちはどうでもいいのですが」と言う。

 

確かに他人のすることにいちいち構う必要はないのはその通りである。

だが「私たちはどうでもいいのですが」の最後の「が」に

何となく引っかかりを感じてしまう。

このセリフは他の人との会話でも、よく耳にする言い回しだ。

 

ようするに本当のところは「どうでもいい」のではなく、

ひっかかるからこそ言いたくなってくるわけである。

「私はどうでもいい」と話を終わらそうとしながら、

どうしても終わりにできない力がそこにはたらいている。

そういう気持ちがあるのだから、無理やり終わりにせず、

むしろそこをはじまりとして関わってみてはどうだろうか。

 

もちろん何でもかんでも向き合う必要はない。

あまり考えずに親が子供の恋愛に口出ししたり、

気に入らぬ同僚と関わったりすると、危険な結果を招くこともある。

危険な可能性のあることは、慎重に考えるべきだろう。

だが、そういった客観的に危険そうな状況を除けば、

心に引っかかっている何かを素直に認めて向き合うべきではないか。

 

友達が結婚したー私にはどうでもいいですが

同僚が出世したー私にはどうでもいいですが

何かに失敗したー私にはどうでもいいですが

私にはどうでもいいです「が」、と「が」がついてしまうなら

それは自分にとって「どうでもよくないこと」かもしれない。

それと向き合うのは労力がいることだけれども、

自分にとって大事なことが見つかる可能性がある。

そこから自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「どうでもいいが、どうでもよくないことに向き合う」