百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

ネアカとネクラ問題 「タモリと戦後ニッポン(近藤正高)」

「ネアカ」「ネクラ」という言葉は、

タモリオールナイトニッポンでの発言が発端となっているそうだ。

そのタモリの発言が考えさせられる内容だったので、

少し長いが抜粋する。

 

「長い間、オレは人を判断する基準というものがわからなかった。

この業界に入って急に色んな人と付き合うようになって、

何がいい人で何が悪い人なのかという判断基準に困っていたんだけど、

簡単なことを発見した。それが、根が明るいか暗いか。

で、根が暗いやつは、もうオレは付き合う必要はない。

根が明るいヤツは、なぜいいかと言うと、

なんかグワーッとあった時に、正面から対決しない。

必ずサイドステップを踏んで、いったん受け流したりする。

暗いヤツというのは真正面から、四角のものは四角に見るので、力尽きちゃったり、

あついは悲観しちゃったりする。

でもサイドステップを肝心なときに一歩出せれば、

四角なものも違う面が見えてくるんじゃないか。

そういう男だと、絶対に人間関係もうまくいく。」

 

暗いヤツは、悲観的な物事に対してクソ真面目に真正面から受け止めようとする。

斎藤一人は、「新幹線を受け止めようとするな」ということを言っていた。

悲観的な物事を真正面から対決するのは、新幹線を受け止めるようなもので、

簡単に吹き飛ばされてしまう。

明るいヤツは、悲観的な物事に対してサイドステップでかわす。

柳のように受け流したほうがダメージは受けないのだ。

正面から全部受け止めていたら、心は持ちこたえないだろう。

 

ところで「ネアカ・ネクラ」の話で、タモリが強調したかったのは

「根」の部分である。

ネアカがよくてネクラが悪い、みたいな印象になってしまったのは

単に表面的に明るいか暗いを表す語として言葉が広まったため、

肝心の根の部分が考慮されていないからだ。

タモリが言いたかったのは、根が暗いのに明るいふりをしたり、

根が明るいのに暗いふりをしたりするな、ということだ。

 

「いまはワアワア言っているヤツが根が明るいというわけでしょう。

宴会芸とかなんか見ていますでしょう。

そうすると暗いヤツが明るく振る舞うんですよ。

そこでも言うんですけど、暗いやつが明るいヤツのように振る舞うのは見苦しくて

悲惨もいいとこだ、暗いヤツは暗いまんまで表現したほうが、

かえって面白い場合がある」

 

「重いもの、暗いものでも、自分の根っ子までつながっているならいいんですよ。

そうじゃなく、重そうなムード、暗そうなポーズだけでしょう。

根っ子のところにあるどろどろしたもの、

汚いものを見据えようとする精神的勇気がまったくないんですよね。

汚いものが見れないやつらに、どうしてきれいなものが見れますか」

 

私たちは自分にしかなれない。

他の誰かになることはできない。

自分の根が明るいのに、暗くてクールな人になろうとしてもできないし、

根が暗いのに明るい人になろうとしても限界がきてしまう。

自分の根っ子にあるものを見つめる勇気が必要だ。

それが自分の理想とかけ離れていたとしても、

結局は根っ子の部分を活かしたほうがうまくいく。

精神的にも楽になる。

そうすることで自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「悲劇はサイドステップでよけ、根っ子の部分を活かす」