性善説でも性悪説でもなく、性弱説 「仕事ができる社員、できない社員(吉越浩一郎)」
人間は「性善」か「性悪」かといった論争がしばしばあるが、
稲盛和夫氏は「人間とは弱いものである」という「性弱説」の考え方だ。
人間は床に落ちている一万円札を見かけたら、
持って行ってしまうくらい「心が弱い」ものである。
あるいは、一万円札が山ほど机の上に転がっていたら、
一枚くらい盗ってもわからないだろうとポケットに入れてしまう。
この場合、その一万円札をポケットに入れた人が悪いのだろうか。
そうではないと稲盛氏は言う。
もともと人間は「性弱」であるから、
むしろ1万円札が床に落ちていたり、そこらじゅうに雑然と置いてあるほうが
問題であって、その点を深く反省するべきなのだ。
人の心は弱い、ということを前提に考えのは大事だと思う。
嫌で嫌でたまらない自分の欠点も、「元々人間は弱い」ということを考えれば
受け入れられるかもしれない。
自分の欠点を素直に認めることができれば、
謙虚に努力することができる。
努力する人は成長できる。
自分より優れて見える人も、元々は弱かったと考える。
するとその人の努力を素直に認めることもできるだろう。
他人の欠点も、「人間は本来弱い」という考えを持てば受け止められる。
「どうしてあいつはいつもこうなんだ!」と目くじらを立てるよりも
ある程度は心を広く持って許容したほうが人間関係はうまくいく。
自分に対しても、他人に対しても大らかに接したほうが
気持ちを楽にして生きていけるだろう。
そうすることで自信につながるかもしれない。
本日の武器「性弱説で考える」