等価交換ではないもの 「なぜか評価されないあなたへ 心に刺さる耳の痛い話(小笹芳央)」
コンビニに行ってペットボトルの水を買うとする。
100円払って100円の水を手に入れるのは消費行動であり、
等価交換が成立している。
ところがこの感覚を労働の現場に持ち込んでしまうと
「これだけ働いているのに、これしかもらえないのはおかしい」となる。
時給900円でアルバイトをしている学生がいるとする。
初めは仕事に慣れるために一生懸命働いていたのだが、
3~4ヶ月たって慣れが出てくると
「こんなにやっているのに900円じゃ割に合わない」と言い始める。
そこで時給950円の時給のバイトを探し、
また3~4ヶ月たったら辞めて・・を繰り返す。
もうすこし我慢すればやがて時給が上がったかもしれないし、
さらに頑張れば正社員になれたかもしれない。
そうなれば時給に換算したときに1800円や2000円になってたかもしれない。
それを放棄して、すぐに950円のところを探すのは、
消費行動的な感覚が根底にあるからである。
労働の場ではリアルタイムな等価交換は成立しない。
後から利子がつき、大きくなって返ってくるものであり、
この学生の行為は利子を放棄しているのと同じことだ。
労働においては消費行動よりも投資に近いものだと思ったほうが良い。
勉教においても同じことである。
例えば大学で哲学の授業をとっていたとして、
「これを勉強して何の役に立つんですか?」とドヤ顔で先生に聞く学生がいる。
この学生も勉教を等価交換の感覚で見ているのである。
等価交換の思想においては、
例えばTOEICは就活に役に立つから勉強する価値がある、
哲学は就活に役に立たないから勉強する価値はない、と考える。
しかし、TOEICなんて勉強している人は山程いるのだ。
TOEICでいい点数もとれるし、
さらに哲学を勉強したことで培った思考力がある人のほうが活躍するだろう。
等価交換だけで考えているうちは、人との差はつかないのではないか。
何事においても成長することは投資に近いかもしれない。
1時間訓練したら1時間分すぐに結果が出るのではない。
積み重ねていくことで、将来大きなリターンが得られるものである。
だからこそ継続は力なりと言われるし、
すぐにあきらめたらダメだとも言われる。
結果がすぐに出なくても、大きなリターンがやがて得られると考え
あきらめない。
そうすることで自信につながるかもしれない。
本日の武器「投資感覚で考える」