百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

心の問題でも体の問題でもない 「こころの最終講義(河合隼雄)」

著者のところに相談しに来たクライアントと話をするとき、

大体の場合は慰めの言葉はかけないという。

クライアントが苦しかったら一緒にくるしんであげる。

そうしているうちに心が楽になっていくのが普通なのだが、

たまに話せば話すほど、どんどん苦しくなっていく人がいる。

あるクライアントは特にそれがひどかった。

これがよくなったかと思うと、また苦しいことが起こる。

これの繰り返しだったので、たまりかねて著者は慰めの言葉をかけた。

 

「せっかくうまいこといったかと思ったのに、またすごいのが来ましたね。

気の毒だけど、あなたが生きていこうと思うと、これだけの苦しみは仕方がないんじゃ

ないですか。僕も一緒に付き合いますから、もういっぺんこの苦しいのをやりましょ

う」と著者が言った。

しかし、その人は「いや、先生、そんなこと慰めてもらわなくてもわかってます」

「最初に先生にお会いした日から、先生と分析を続けていく間に、

そういう苦しいことはずっとずっとあるということを覚悟していました」と言われた。

著者が感心していると、

「いやいや、先生が1回目に言われました」と言う。

著者が「僕が何を言いましたか」と言うと、次のことを言ったそうだ。

 

その人は心身症的なところが多くあったので、

「先生、これは心が原因なんですか。体が原因なんですか」と著者に聞いた。

著者は「あなたの問題は、心が悪いのでも、体が悪いのでもないのです」

「何が悪いのですか」とその人が尋ねると、

著者は「あなたは魂が腐っていますから」と答えたそうだ。

腐っている魂の掃除をするのなら、これから大変になると覚悟したのである。

 

心では「これはいけないことだ」とわかっていても、

体はその行動をしてしまうときがある。

あるいは、心も体も苦しくて悲鳴をあげていても、

どうにか乗り切ることができることもある。

心と体が別々に動いたり、

あるいは一緒の動きをしている心と体をおさえられるのは、

心と体の間にそれらをコントロールするものがある。

それが魂だと著者はいう。

 

魂は生き方と言い換えてもいいかもしれない。

どんなに高尚な考えを持っていても、

良かれと思う行動をとっていても、

魂が腐っていたらひどいことになる。

何かがうまくいかないとき、心がけが悪いとか、その行為が悪いとかいうよりも

魂が腐っていないか考えてみる。

腐った魂をきれいにするには、苦しみは避けられない。

そう考えると私にはしっくりくる。

 

うまくいかないとき、

自分の魂が腐ってないか、

生き方が割るのではないかと考えてみる。

そうすることで自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「魂の問題だと考える」