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百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

福祉の国と障がい者施設殺傷事件 「その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く (森川すいめい)」

北欧は福祉の国と言われている。

「家にヘルパーさんがいて1日5回行くなど、在宅生活を支える制度がある」

車いすの方への援助として介助者が同窓会に付き添うという支援がある」

「高福祉を維持するために高い税金を人々は払うが、一部の人を除き

国民は納得している」といった色々なエピソードがある。

 

著者は北欧に行く前は、どれだけバリアフリーが進んでいるのだろうかと

色々想像して楽しみにしていた。

しかし北欧4カ国を旅してわかったのは、

道がボコボコしていて全然バリアフリーになっていなかった、ということだそうだ。

むしろ日本のほうが、構造的には気を遣っていたという。

ただ、そんなボコボコの道を、車いすの人が1人で移動している姿が

日本よりも多く見られた。

 

車いすに乗る人が外に出にくい理由のは何か?

いくつかの調査でわかったことは、

「人の目が気になる」といった心理的な理由が多かったことである。

車いす利用者が外出するとき、様々な人の手助けが必要になる。

段差、電車、エレベーターのない場所など、様々な場面で助けが必要になる。

そうした場面では気を遣ってしまうので、

申し訳ない、恥ずかしい、迷惑をかけてまで外出したくないという方が多い。

 

しかし、北欧の地では1人で外出している車いす利用者が多い。

しかも段差だらけのデコボコした場所で。

この違いは、車いす利用者が堂々としていられるかどうかにある、と著者はいう。

北欧で車いす利用者は当たり前のように外にいる。

 周りの人も別に何も思わない。

助けが必要であれば、淡々と助けるだけ。

お互いにあまりにも自然に助け、助けられるので

変に申し訳ないと思う必要がない。

 

 福祉が進んでいる北欧や、日本の自殺率が低い地域の特徴は、

人助けが当たり前に行われることだそうだ。

無理に助けようとするわけでもなく、

過剰なお節介になってるわけでもなく、

損得勘定で助けるかどうか決めるわけでもなく、

ごく当たり前に、自然に助け合うのである。

 

それは、障がいを持つ人とそうでない人を、

生活する上で分けて考えてないからかもしれない。

例えば、子供の頃から障がいを持つ人を特別視して住む世界を分けると、

お互いのことがよくわからなくなってしまう。

どういった場面でどういう助けが必要なのかは、

日常の世界にお互いが存在していないと知ることはできない。

お互いが何に困っていてどうしたらいいのか知っていれば、

自然に助け、助けられることができる。

そのような世界では障がいを持っていても

意識の上で特別視する必要はない。

 

障がい者を抹殺して、その方々にかかっていた費用を他のことにまわせば

世の中が良くなる、みたいなことを言って施設を襲った人が逮捕された。

障がいを持つ人と、持たない人を変に区別する思想が、

今回の事件の遠因になっているかもしれないと思った。

物理的に助けが必要であるという意味では区別は必要かもしれない。

だが、人間は自分一人で生きていけるわけではない。

自給自足でもしないかぎり、誰もが何らかの助けをもらいながら生きている。

そういった意味では、障がい者だろうと何だろうとも

意識の上で明確に区別することは意味がないかもしれない。

誰もが助け合いながら生きている、

障がいを持つ人も持たない人も

そのような同じ世界で生きている。

ただそれだけのことではないか。

 

「あの人はこうだから」と損得勘定や選民思想で助ける人を区別しない。

誰に対しても区別せず、ただ普通に淡々と助ける。

そうすることができれば自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「当たり前のように自然と助け合う」