百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

生まれつきの容姿や才能の価値 「ダメな自分を救う本(石井裕之)」

銀行からお金を借りて、それを元手に事業を起こして利益をあげたとする。

この場合、自分で獲得できたお金は利益の部分のみである。

元々借りてたお金を自分のものだと言うのは許されない。

1000万円借りて300万円の利益を出した人よりも、

50万円しか借りられなくても100万円の利益を出した人のほうが、

起業家としての力は上である。

 

美形の顔に産んでもらった人が、顔のカッコよさでモテるのは当たり前だ。

しかし、どんなにモテたとしても、それは自分で獲得したものではない。

顔以外のところで魅力がない限り、結局は年をとって顔がしわくちゃになれば

女性は離れていくかもしれない。

ブサイクに生まれた人が、努力して恋人を作ったとしたら、

その魅力は自分で獲得したものと言える。

その人は、たとえ顔がしわくちゃになっても魅力は失われないだろう。

 

我々は、つい「何を持っているか」で自分や他人を評価してしまいがちだ。

だが、「何を持っているか」でその人の力を評価するものはできない。

「何を生み出したか」がその人の真価なのだ。

 

著者はこうイメージする。

この世に生まれるときに神様が色々なものを我々に貸してくれる。

そして、人生を終えた時に神様が「私が与えたものを返しなさい。

残ったものが天国でのお前の本当の姿だ」と言う。

ある人は裕福な家庭を与えられる。

しかし、人生の中で憎しみや恨みばかり生み出すことができなかったとしたら、

天国では裕福さを神様に返すので、憎しみや恨みだけが残ってしまう。

一方、ある人は、貧しい家庭を与えられたとする。

しかし、その貧しさの中でも自分で力を育て、感謝しながら生きて幸せになった。

その人は、天国に行って神様に貧しさを返し、幸せが残る。

 

結局、元々その人に与えられているものには価値がないのだ。

スタート地点が違っても、そこから何を生み出したか、が本当の価値なのだ。

たとえ自分で生み出したものが奪われたとしても、

それを生み出した力は決して失われることはない。

だから、ダメな自分の克服することが大切ではなく、

ダメな自分から何を生み出すかが問題になる。

 

ということは、生まれつきの家庭や、容姿、才能といったものを

言い訳にすることはできなくなる。

どういうものが与えられても、我々はそこからスタートするしかないし、

そこからいかに自分の人生を充実させていくかが大切になる。

過去ひどいことがあったかもしれない。

今、頭を悩ませることがあるかもしれない。

その状態から自分は何を生み出していくか?

そう考えることで自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「持っているものではなく、これから何を生み出していくか」