ムムコロレタル 「できる社員の損益分岐点 (松尾 喬)」
サービスの語源は、サクリファイス(自己犠牲)だという。
つまり、自分を抜いて他人に尽くすことである。
自分を主語に考えると良いサービスはできない。
例えば、「俺は客だぞ」と過剰に思っている人は、
言うまでもなくサービス精神は薄い。
行き過ぎるとクレーマーになりかねない。
自分はお客さんだから~という意識が強すぎて理不尽なことを要求する。
自分の立場だけではなく、店員の立場も考えれば、
無茶なことは言わないはずだ。
また、自分の家族のことを過剰に「お客さんじゃないか」と主張すると、
やはりサービス精神がなくなる恐れがある。
確かに家族のために尽くすのはいいことだ。
しかし、自分の家族を大事にするあまりに、
他人の立場をないがしろにする人もいる。
行き過ぎれば、モンスターペアレントになりかねない。
給食に嫌いな食べ物が多いのですが、どうにかなりませんか?とか言う。
自分の子供の立場だけでなく、先生などの立場も考えられれば、
無茶な要求はしないはずだ。
「自分はお客さん」「自分の家族はお客さん」という意識では
自己中心になる可能性がある。
「俺が俺が」と自分を主語にする人たちの考え方を、
著者は「ムムコロレタル」と表現している。
これは「無視、無関心、子供扱い、ロボット、たらいまわし、冷淡、
ルールブック」の頭文字だ。
自分以外の人の立場を無視したり、無関心を決め込んだりする。
子供扱いとは、知識のない人に偉そうにすることだ。
ロボットとは、融通がきかない均一な対応のことだ。
ルールブックとは、いつもと違うことを要求されると反発的になり、
相手の満足より組織のルールを最優先しようとすることだ。
一昔前のお役所は、「ムムコロレタル」のオンパレードだった。
サービス精神が旺盛な人は、「ムムコロレタル」とは真逆の対応になる。
彼らは「自分以外はお客さん」だと思っている。
自分も大事だし、自分の家族も大事。
そして、それと同じように同僚も部下も上司も隣近所も、
みんなお客さんとして考える。
「俺が俺が」と自分を主語にするのではなく、他人を主語にして考える。
接客業はもちろんのこと、何事も人と接するときは、
必要以上の自分を抜いて他人の立場を考える。
そうすることで、「ムムコロレタル」の対応はなくなるし、
人からも支持され、自信につながるかもしれない。
本日の武器「自分以外はお客さん」