「うちの客」は倒産シグナル 「ビジネスは客数×客単価×購入回数だけで出来ている(渡邉 健太郎)」
商店街の小売店の社長が「あの人はうちの客だ」という言い方をしたり、
お客様に裏切られたと文句を言ったりしているのを聞くと、
著者はびっくりしてしまう、という。
「うちの客」、これは倒産シグナルと判断される。
「うちの客」などいない。そんなものがいると思ってしまうと危険である。
こういうお店の社長は、「うちは昔のお客さんを大切にしている」という。
「新しいお客様を集める努力をしないと衰退してしまう」と説得しても、
「義理人情で結ばれているお客さんは、そのようなことは望んでいない」と
突っぱねてしまう。
著者は、固定客に依存した経営は危険であると説く。
何故ならば、お店もお客様も毎年ひとつずつ歳をとっていくからだ。
固定客のみを中心にした事業活動を行うと、店自体も歳をとっていく。
毎年老化していくような店では新規顧客が増えることは期待できない。
また、固定客自体も歳をとるだけでなく、亡くなったり転居したりするので
必ず少しづつ減っていくのである。
ここから本書は、「固定客」ではなく、
「固定客層」に焦点をあてるべきだと論じていく。
さて、ここまで読んで私が思ったことがある。
「うちのお客さん」という言い方は
自分にとって都合のいい言い方ではないか、ということだ。
長年連れ添った夫婦で、奥さんをぞんざいに扱っている旦那がいるとする。
ずっとこういう風に接してきたんだから、まさか離婚するとか言わないだろうと
思っていても、奥さんは心の底で不満を貯めているかもしれない。
そして離婚を突きつけられる。
こういう旦那に限って「女房に裏切られた」とか言うのではないか。
「義理人情で結ばれているお客さん」と思っていたが、
このお客さんだって他にいい店があれば、そちらを利用しだすこともある。
それを「裏切られた」と言うのは筋違いだ。
昔からのお客さんに、昔からのサービスをすること自体はいいのだが、
それが単なる手抜きであってはならないのだと思う。
きちんとしたコミュニケーションやサービスをとるべきだ。
長年の付き合いであっても、楽しませて、喜ばせて、気を遣うことも必要ではないか。
固定客も新規客も、自分の都合のいいように手を抜くことなく接する。
そうすることで信頼は生まれる。
そこから自信につながるかもしれない。
本日の武器「長年の付き合いであっても手を抜かない」