百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

幸福とは不幸を避けることか 「河合隼雄の幸福論 (河合隼雄)」

生涯学習と人間の幸福」という題で著者が公演をしていた。

思いつくままに話していたのだが、「生涯学習」と「幸福」が

なかなかつながってこない。

そのときに次のことに気がついた。

 

人間にとって「生涯学習」は不可欠なことだ。

しかしそれは別に幸福になるためにしているのではない。

幸福ということを第一にして、幸福になろうとすると、

かえって失敗してしまうことが多いのではないか。

幸福の方に気をとられると、どうしても不幸を避けたいと思う。

ひとつの不幸を避けるための努力が、他の不幸を呼び込む原因になることもある。

幸福になろうと考えるよりも、まず自分にとって

今はどのような「学習」の機会なのかを考えるほうがいいのではないか。

 

ある父親の中学生の息子が学校に行かなくなった。体の病気でもない。

そこで「登校拒否症」などというような本を買って読んだ。

これこそ「学習」だと思って読んだが、あまり参考にならない。

そのうち息子が「あれを買え、これを買え」と言ってきた。

少し無理して買ったが、それでも登校しない。

父親はとうとうたまりかねて息子を呼び、対座して

「お前は父親が1ヶ月にどれだけ収入があるか知っているか」と問いかけた。

給与明細を見せ、そこから税金などが引かれて手取りはいくら、と説明した。

息子は「もっとお金があると思っていた」と言いながら

強い関心を見せ、年金のことなどを質問してきた。父親は丁寧に答えた。

 

このことが息子の登校の大切な契機となった。

人間が生きていくことについて息子なりに納得し、頑張ろうと思った。

父親も「学習」したことが多かった。

彼の学習したことは、不登校に関する「知識」ではなく、

父親の役割や、一人の少年が大人になることの難しさといった、

生きていく上で必要な基本姿勢のようなものだ。

 

つまり、生涯学習のチャンスは、家族の問題や、嫌な職場に転勤になったとか、

思いがけない失敗をした、などという形で訪れる。

そのときに、自分のそれまでの小さな幸福にしがみついて、

生涯学習の機会から逃れようとすると逆に不幸になる。

生涯学習は必ずしも幸福につながるとは限らない。

成功や失敗を繰り返しながら成長し、その副産物として幸福がついてくる。

 

不幸を避ければ幸せになるとは限らない。

何らかの不幸に会ったときに、それから逃げることだけを考えのではなく

「これはどのような学習の機会なのか」を考えるのがいいのではないか。

それは、物事のポジティブな側面を見つける訓練にもなる。

船井幸雄は「この世の出来事は全て必然的に起こる」ということを言った。

うまくいかないことも、何かを自分に学ばせようと起こっているかもしれない。

そう考えることで自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「うまくいかないときに、ここから何が学べるか考える」