百武日記

自信がない人が自信を持って生きるためにはどうすればよいか。日々考えたこと、学んだことを記録し、自分の武器にする。

データがなくても、データだけでも勝てない 「勝負哲学(羽生義治・岡田武史)」

 本書は一流の将棋棋士とサッカー前日本代表監督の対談本である。

勝負の世界の怖さを知り尽くした二人の対談は、

「論理と直感の関係」の話から始まる。

勝負においては、ロジックやデータを積み重ねるほど、

それだけではカバーしきれない直感やひらめきといった、

非論理的なものの重要さが増していく。

勝負においてその2つの関係はどうなっているのか。

 

サッカーでも将棋でも今は膨大なデータが手に入る。

そのデータさえあれば勝てるのか?

2人の結論は「一定水準まではデータ重視で勝てる。

しかし、確率論では対応できない限界点が必ず来る。」というものだ。

例えば将棋においてプロの棋士は何百手も先を読んで

その中から最善の一手を指すようなイメージがあるが、

実際には羽生名人でも「十手先の局面の予想さえ困難」だそうだ。

十手先の局面は理論上6万通り以上の手ができるため、論理だけでは限界が来るのだ。

 

逆に言うとデータの限界が来た時が、本当の勝負とも言える。

データに何をプラスすれば勝利につながるのか。

ここで大事になってくるのが直感である。

膨大な数の手の中から、直感で最終的な手を絞り込む。

それは直感でしかやりようがない。

サッカーにおいても、攻守が目まぐるしく入れ替わり、

絶えず局面が流動しているスポーツなので不確定要素が多い。

すると偶然性が多くなるから、直感の重要性が高まる。

羽生名人によると「直感の7割は正しい」とのことだ。

だから最終的な決断の一歩手前までは、自分のデータを元に絞っていき、

最後の決断は直感によることが多い。 

 

では直感を磨くものは何か。

実は2人の結論は「データ」なのである。

直感は突然天から降ってくるものではない。

今まで重ねてきた経験、知識、技術といったデータがあるからこそ、

直感という力が働く。

直感はロジックを越えるものだが、同時にロジックに支えられるものでもある。

結局は努力してデータを積み重ねることが、その先に必要な直感にも役立つのだ。

脳科学的にも、直感は先天的なものというより、努力で身につくものらしい。

 

ところで、私がここらへんの話で気になったのは、下記の部分である。

「サッカーにおいては、ディフェンス戦術はデータに基づいて

かなりの部分を組み立てることができます。相手はこう攻めて来るから、

こう守れといった具合に、防御は確率論で相当カバーできるのです。

ただ、攻撃はそうはいきません。攻撃を理屈でやろうとすると相手に見破られます。

したがって相手の陣形を崩す、突破する、そのようなオフェンスには、

データや確率などの理屈を超えた要素が必要になります。」

 

データはオフェンスよりもディフェンスで力を発揮する。

これは私が思うに「不要な負けをしなくてすむ」ということでないか。

知っていれば受けなかったダメージを受けるのは勿体ない。

知ることで防げる負けがあるのならば、知る努力をしたほうがよい。

羽生名人も「データやセオリーは、相撲でいう立会みたいなものです。

相撲で立ち会った瞬間に、相手にがっしり両のまわしをとられたら、

どんなに体重があろうが腕力があろうがどうしようもない。

それと同じで、データやセオリーなしで"素手"で土俵に上がったら、

立会いの瞬間に勝敗が決してしまいます。」ということを述べている。

つまり、データ分析はもはや勝負の前提になっていて、

それなしでは土俵にすらたてない、ということだ。

 

「勉強ばかりしてないで、早く実践に立ったほうがいい」という理論も一理ある。

知識やデータを増やしても、上記のサッカー理論のように

点をとるオフェンスには直結しないからだ。

ただし、ディフェンスにおいては必要になってくる。

知ることで不要な負けが防げるなら、それに越したことはないし、

結局データを蓄積しておけば、攻撃に必要な直感に役に立つ。

 

しなくてもいいミスや負けを防ぐには、何を把握しておけばいいのだろうか。

ディフェンスがしっかりしていれば、オフェンスに集中できる。

そこから自信につながるかもしれない。

 

本日の武器「不要な負けをしなくてすむくらいの勉強をしておく」